この記事では夫婦喧嘩の直接の原因までは触れていませんが、全国のVAD患者家族はどのような日々を過ごしているのだろうか?
この記事は2017年12月8日(VAD装着1,030日目)のリライト記事です
ニュースで取り上げらる心臓移植待機者の声には「仕事に復帰」、「日本における臓器提供意思表示の普及啓発」というよう前向きなワードが多く並びます。そこにはほどよく「苦労」も描かれており、最終的には少しポジティブな内容に仕上がっていることも多くあります。
そのような報道は大切だと思いますが、時に僕はモヤモヤした気持ちになることがあるんですよね。「大変さ」のもう一歩先を描き切れていないというか…
たとえば夫婦喧嘩や親子喧嘩といった誰にでも起こり得ることも、VAD装着者と介助者の関係においては一味違ってきます。物理的な距離を取りたいけど、24時間介助という点で離れることができない。そのような超プライベート空間におけるフラストレーションを具体的に描かれているものが少ない印象かな?
「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」というくらいだから扱われなくて当然なのかも知れません。しかし、犬も食わぬ夫婦喧嘩を紐解いてみると、時に本当の大変さが見えてくることもあるのではないか?
そんなことを自分で発信したく、Youtubeで発信している側面もあります。
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