VAD埋込手術の時は、普通に過ごしてました。
たぶん。たぶんねっ。
ちょっと自信はないです。だから、はっきりするまで、おとなしくしてたように思います。
せん妄かどうかの確認のために、会話の初めに会話のキャッチボールができるかを確認してました。
その2年前の2017年年末から年明けにかけての出来事です。
下側の歯を折られました
2017年12月にシート移植を受けました。
心臓が安定しないのと肺炎にもなったようで、10日間?2週間?ほど眠らされていたようです。
目が覚めると、お医者さんたちの会話が頭上周辺から聞こえてきます。
「挿管するとき歯が邪魔で折っちゃったけどなんとか入ったんだよ」っていうのが聞こえてきました。
さらに、
「抜管するときも引っ掛かるようなら、折るしかないか?それか、抜管をあきらめるか?」
おいおい、抜管諦めるって、どういうこと?
舌で口の中を探ると確かに2本の歯がなくなってます。
どういうことよって思いながら、眠りにつきます。
目が覚めては、看護師さんの動きやお掃除している人の動きは見えてました。
看護師さんに歯が折れているのか確認しようにも、口は管を咥えて塞がってるので話せません。唯一自由に動かせるのは、右手だけです。
どう伝えたらいいのか?思案してました。
右手は、右太ももの上には動かせます。そこで、指で文字を書いて伝えようとしました。
しっかりと書いているのに一文字も伝わりません。
次の看護師さんでも、その次の看護師さんもダメでした。
介助者と私の妹が来た時です。
彼女たちにも指で文字を書いたのに何も伝わらないのです。
一番身近にいた人たちがこの歯のない現状をなぜ気づかないんたとイライラしてきました。
妹の
「もう、今日は、ほっときっ」
という声を聴きながら眠りに落ちました。
翌日も、介助者は来てくれました。
少し動けるようになってきたので身振りで、
私の顔の口の周りを見て!変わってしまっただろ!こんなになっちゃった!と伝えますが、返ってくる言葉は、
「分かれへん」
(あーーー、あなただけは、分かって欲しいのに)っと、何度も伝えました。
そして言ってる内容は少しは伝わったようですが、
「別に変わったことはないよ」
(あーーー、なぜ、気づかないんだ)
また翌日も、
私の顔と、今まで、撮った写真と見比べてほしい。違ってるだろって伝えました。
この内容も伝わったようでも、
「別にないよ」
(こんなに、変わってるのに、なぜ、気づいてくれないんだ)
その翌日、介助者は、ノートとボールペンを持ってきました。
開いて支えているノートの上に、渡されたボールペンで、伝えたいこと書いていきました。
ちょっと書いては
「分からへん」
違う表現で書いては
「分からへん」
ありがとうって感謝を書いても
「分からへん」
看護師さんから文字盤を貸し出してもらって、その文字盤で、伝えようとしました。
その文字盤は、50音順の表でした。それは理解しました。
しかし、伝えたいことの文字を指し示そうとしたとき、異変に気付きました。
例えば、ありがとうって伝えようとして、
「あ」の文字がすぐに見つけられないのです。
何回も何回も見直して、やっと「あ」を見つけるのですが、指が「あ」のところに行ってくれません。ふらふらとして、狙いが定まらないのです。
やっと「あ」に到達して、
「あ、よね」
にうなづいた。(つもりかも)
何とか伝わったので、次は、「り」の文字を探し始めるも、見るつからないのです。
あかさたな・・・も、出てこないので、「り」そのものを探すしかないのです。
何度も何度も文字を行き来しながら、「り」を探すのですが、見つかりません。
もう、完全にウォーリーを探せ状態です。
おそらく、文字を認識する力が極端に低下してたのかもしれませんが、自分はその時気づいていません。
5文字程度伝えるのに、ぐったりとしてしまいます。
ノートに書くから、もう文字盤はいいと引き上げてもらいました。
その後も、来る日も来る日もノートに書いては伝えようとしましたが、なかなか伝わらなかったのです。
その時は、よく分かってなかったですけど、根気よく付き合ってくれた介助者に感謝です。
看護師さんたちも、伝わってなかったですけど、根気よく聞き続けてくれました。ありがとうございます。
徐々に伝わっていきましたが
歯を折られることなく、抜管されました。
でも、歯がないです。
介助者だけは、分かって欲しいと伝え続けました。
「おかしいとこはないよ」
会話のやり取りはできましたが、伝わりません。
治験のコーディネーターさんから、
「何かありますか?」
と尋ねられて時、
「主治医の先生に感謝なんかしてない」というようなことを話したような気がします。
ああ、せん妄やねって、病室外では話されてたみたいです。
ICUを出てCVCUへ行き、不安定ながらも意識はしっかりしてきたようです。
このあたりから、歯に異常がないことに気付き始めます。
(あれっ、歯がある。私は何を言ってきたのだろうか)
介助者が来たとき、尋ねました。
「歯がある?」
「あるよ、何言ってるの?」
「あるよね、ある」
と歯があるのを確認しました。
だんだんと自分が何を言ってきたのかが分かって恥ずかしくなってきました。
一般病棟生活が安定してきたころには、恥ずかしくて、謝ってました。ICUの看護師さんには謝ることもできずに退院しました。
余談ですが、CVCUにいるとき、クリスマスもやってきて、西田ひかるさんが慰問に来て、ボールペンを頂いたのは覚えてます。(ボールペンは、その後もあったので、せん妄ではないと思います)
自宅療養で落ち着いてきたころ
介助者から
「ノート見る?」
って言ってきました。
見せてもらいました。
ノートは、何ページにもわたる力作です。
でも、一文字も分かりません。
ミミズが這った字というか、速記を書こうとしているんかという落書きです。
ノートだけは、しっかり書けていると今の今まで思っていた私は愕然としました。
これに、介助者、看護師さん、お医者さん、関わってくれた人たちがこんな私を相手してくれてたんだと知ると恥ずかしくてしょうがなかったです。あらためて感謝しかないです。
このとき認知症の人も、もしかした伝わらないのだけかもしれないと感じたのを覚えています。
そんなことがあったので、VAD埋込手術の時は、とっても慎重に起きたのでした。
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