補助人工心臓の植え込み手術を受けて3年が経過しました。
あらためてVAD手術前後の記憶を辿ってみたのでブログにも書き残しておきたいと思います。
この思い出話は手術前後の苦しみ・鎮静・せん妄などの状況下での記憶のなので、そうなんだ~くらいに留めてくださいね。
この記事は2018年2月24日(VAD装着1,108日目)のリライト記事です
心不全末期の状態
併せて過去記事:イシイサトル、波乱万丈のVAD生活を振り返るも見てくださいね。
カテーテル検査をする前に告げられた話です。
医師から「VADまで持つか分からない」「IABP(大動脈内バルーンパンピング)を使いたい」という説明がありましたが、私「IABPはやめてくれ」というようなことを伝えました。
何でIABPは嫌なのかと言うと、私の弟も体外式補助人工心臓を装着する前にIABPが施されていたことが関連します。私はIABPを使うことで身体の負担が少し軽くなることは頭では理解していました。
けれども、私にとってIABPを使うということは弟の闘病をトレースしてしまうのではないか?と感じていたのです。
これが「IABPはやめてくれ」という言葉が出た背景です。
IABPを受け入れたのか?
カテーテル検査中に色々とあったようです。
すごく血圧が低下したことは何となく記憶に残っているのですがハッキリとは覚えていません。
おそらく家族がIABPを了承したのでしょうね。
その後、足元に見覚えのある機械をみてIABPが装着されたことを理解していました。
IABPで苦しさは減ったのか?
IABP装着後、溺れているかのような苦しさは「多少」軽減されました。
その結果、短い会話ができる程度にはなりました。
でも、このあと急速に状態が悪くなっていったのです。
この病室は弟を看取った病室の並びでもあり、室内の雰囲気をよく覚えていた。
弟の闘病をトレースしている。
複雑な心境で、何とか補助人工心臓の植え込み手術に辿りつきました。
補助人工心臓の植え込み手術
手術当日のエピソードはコチラの動画を見てください。
術後せん妄
私は峰不二子と一緒に何かを盗み、ベンツSSKのような独特なフォルムの黄色い車に乗り、黒服の追手から逃げ回っていた。
追手を振りきってヨーロッパの下町にあるような路地へと入り込み、そこで峰不二子らしき人物と会いました。別れ際に私は峰不二子に撃たれてしまい、私の取り分を持ち逃げされてしまいました。
私は峰不二子に撃たれて血をダラダラと流して苦しみに悶えていたのですが、いつの間にか周囲が病室の風景に変わっていきました。
術前の壮絶な苦しみがそのような夢?を見させていたのでしょうか。
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身体の痛み
これまでもVADを検討されている方より術後の痛みについて尋ねられる聞かれる機会が多くあります。
私は術後しばらくは鎮静されていたので傷口が痛いとかは無かったと思いますが、人工呼吸器が抜管されてから背中が痛み出しました。
自力では腰の位置をずらすこともできなかったので、体位変換を頻繁にしてもったような気がします。
それでも痛みは変わらず、湿布薬を貼り付けてもらっても変わりませんでした。
ひたすら時が流れるのを待つだけであり、視線で時計を壊せるんじゃないかと思うほどに時計ばかりを見ていました。「まだ3分しか経ってない!」そんなことの繰り返しでしたが、徐々に痛みも治まってきてリハビリもはじまるようになりました。
リハビリ
ICUの中で理学療法士によるリハビリがスタートしました。
手術前に体重が10キロ以上減り、ICUで一カ月以上寝たきりになってしまったことでかなりの筋力が失われたようです。
最初は座位の練習でしたが、はじめは身体を起こすと頭から血の気が引くような感覚が酷かったことを覚えています。理学療法士の支えがなければ倒れこんでしまう状態からリハビリがスタートしました。
座位から立位へ
数日置きにリハビリを行い、ようやく立ち上がるステップになりました。
徐々に足裏に体重を乗せ、膝を伸ばしました。
立ちあがった瞬間、「生まれてはじめて立ったのではないか?」と錯覚するような何とも言えない新鮮な感覚がありました。
理学療法士はまるでハイジのようにクララが立った的なオーバーリアクション。(笑)
しかし、身体のバランスのとり方が分らず、理学療法士が私の両肩を支えました。
その日は足踏みさえ出来ませんでした。
立位からの一歩
さらにリハビリ(筋トレ)が続きました。
徐々に足踏みができるようになり、病室の入口まで歩けるようになりました。
一般病棟に移ってからはひたすらリハビリの日々でした。
でも全然苦痛じゃないんですよね、苦しくもないし。
一人で横になる
病院のベッドではリクライニング機能があるので一人で横になることができました。
しかし、自宅には普通のフラットなベッドが待っています。
退院に向けたリハビリが続く中、今の身体で自宅で寝起きできるのだろうか?
そのような心配をしていました。
というのも胸部の痛みは少しも引いておらず、少し身体をひねるだけでもビキビキと骨が剥がれるような痛みありました。
そこで、爽やか系理学療法士Aさんに普段の生活動作について相談をしました。
まず、手本をお見せしますね。
左肘あたりを支えにして・・・
そしたら足を乗せて・・・
何とか横になることは出来たものの、フラットな状態から起き上がることはできませんでした。
翌日のリハビリメニューにはフラットなベッドでの寝起きが加えられ、退院する頃には問題なく寝起きできるようになりました。
イガグリ頭のイシイさん
手術から3年経った今
VAD手術から3年が経ちました。
今も平日はフルタイムで働きながら生活ができています。
もちろん、通院日や体調不良で働けないこともありますが、それなりに活動的な生活を送ることができています。
とはいえ、移植までの道のりはまだ長そうです。
待機期間としては折り返し地点を過ぎたのだろうか?
フラッシュバック
先日、公園の陸上トラックで若者たちがランニングしている姿を眺めていました・
私も走ってみたい気持ちになったのですが「走るってどういう感覚なんだろう?」となり、自分の走るイメージが浮かびませんでした。
心臓移植が終わって走れるようになったら、ただ走るだけなのにもの凄く感動するんだろうと思います。
ただ走るだけなのに。
颯爽と過ぎ去っていく彼らを眺めながら、何だか一人取り残されたような寂しい気持ちになりました。
突然、術後の記憶がフラッシュバックしはじめたので近くのベンチに座りました。
辛い記憶の扉は固く閉ざされているのですが、ふとしたきっかけでその扉が開いてしまうことがあります。
今回は颯爽と走る彼らを目にしたことで、記憶の扉が開きました。
10分くらいベンチで悶々とした後、再び歩き出しました。
歩きだしたら何だか吹っ切れました。
公園を2週し約6000歩、久しぶりによく歩いた気がする。
疲労感が妙に心地よかったです。
外を歩くのって大事なことですよね。
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