補助人工心臓体験記

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NHKスペシャルのドキュメンタリーをみました『あなたは臓器提供の意思表示をしていますか?』

NHKスペシャルのドキュメンタリーをみました『あなたは臓器提供の意思表示をしていますか?』

おはようございます、イシイサトルです。
昨晩のNHKスペシャル『家族が最後を決める時 ~脳死移植 命をめぐる日々~』が放送されましたが、皆様は視聴されましたでしょうか?

あなたは臓器提供の意思表示をしていますか?

僕は運転免許証と臓器提供意思表示カードに臓器提供の意思表示を書いています。
そして、もしものことがあったら出来るだけその臓器を提供したいと思っています。

臓器移植の4つの権利

臓器提供と移植に関しては、4つの権利があります。
死後に

  • 提供する権利(あげたい)
  • 提供しない権利(あげたくない)

移植が必要なときに臓器を

  • 受ける権利(もらいたい)
  • 受けない権利(もらいたくない)

があります。
臓器を提供する場合は、意思表示の有無に関わらず最終的には必ず家族の承諾が必要になります。だからこそ、家族内で臓器提供と移植についてお話しする機会を持ってください。

番組を見終わって

イシイ家にとって、この番組はとても共感できる内容であっただけに見ているのが辛かったです。
なぜ、辛い気持ちになったのかは補助人工心臓体験記とは?で触れています。
この番組を見た直後、僕は臓器提供の意思を両親に確認するために電話を掛けました。その時の会話を録音していたのでポッドキャストで配信します。


あなたも「縁起でもない」とは思わず、一度臓器提供や移植についてご家族と会話してみてはいかがでしょうか。

エピソード:拡張型心筋症で体外式補助人工心臓、人工呼吸器をつけていた弟

弟は高校2年生の時に体調不良となりました。当初は市中病院で劇症型肝炎と言わることもありましたが、大学病院に転院して拡張型心筋症と診断されました。それもかなりの重症です。

半年ほどCCUにてIABPや薬物治療をしていましたが、クリスマスイブにいよいよ状態が悪くなり人工心肺に載せることになりました。そして、正月に当時の体外式補助人工心臓(左心、右心の両方)の手術を受けました。
両親、姉、僕はICU前の長椅子で長い長い時間待っていたことを覚えています。

気管切開をしていたので声を出すことはできませんでしたが、一時期は容態も安定したかのように思えました。

しかし、血栓が肺に飛んで肺梗塞を起こしたりと安定した日々は長くは続きませんでした。
最後は血栓が脳へ飛び脳死状態となりました。

看取りのとき

弟の手足は糸が切れた操り人形のように力なく、だらりとしていました。瞳は色彩と輪郭を欠き、まぶたは半開きで微動だにしません。
それでも手を握れば温かいし、心臓は鼓動を続けていました。
機械を止める最後の瞬間、私達4人はしっかりとその重すぎる事実を受け止めました。
「ゆっくん、やっとおうちに帰れるね」と。



この記事の著者

Satoru Ishii
この補助人工心臓体験記の運営者です。
僕は拡張型心筋症で2015年2月にエバハートを埋め込み、心臓移植待機者になりました。
僕もいつかはVADを卒業する日が訪れます。(訪れました)
僕が成し遂げたいことは後継者を作ることではなく「当事者が声を上げていいんだよ」という雰囲気作りです。
これから先も地道に発信していきます。

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