
2019年末に近づくころ、本人の認識とは裏腹に、心臓が限界まで来ました。
心臓移植へ向かうか?積極的治療はやめる緩和ケアに向かうか?の選択の時期に来たのです。
心臓移植に向かうか、緩和ケアを選ぶか?
強心剤の点滴を打っても、横になってることが多い状況で答えを探してました。
狭い条件をクリアして、まだ治療が受けられるチャンスがあるなら、チャレンジしたい。それが、心臓移植に向かおうとしてる理由です。
しかし、大きな3つのことが引っ掛かりました。
その3つは、
- 年齢
- 人の死によって成り立つもの
- 介助者
です。
これに自分なりの答えが出ないと次の選択は、緩和ケアです。
緩和ケアを選択するとなっても、不思議と不安感が生じませんでいた。
かなりボーっとした頭をつかってるんだと当時は気づいていませんでした。
心臓移植、緩和ケアのどちらの選択も最後は私の意志としてはっきりと表明しないと、家族はもちろんのこと関わってくれた方々に、あの選択は正しかったのだろうか?という思いを残してしまうんだろうなとも思いました。
父が、2019年の5月に他界した時、本人の意思を尊重した結果でさえも、あれでよかったのか?よかったんだよねと揺れ動いてます。
最後のよりどころとして、本人の意思だったということで、納得できそうな気がしました。
結局は、どちらを選んでも悩ましいです。
とりあえず、3つの課題について考えてみることにしました。
年齢
2019年末に、私は、57才になっていました。
57才で、狭い条件をクリアして運よく心臓移植待機者となっても、待機期間は5年程度以上かかるので、心臓移植時は、60才を越えてしまう。
60才未満が心臓移植対象と聞いていたので、残された時間は2年弱。
たどりつけないなと。
そうなるとVAD装着したままの生活するということは、私の生涯のために介助者に制限をさせた生活を強いることになる。
それは、嫌だ。
これに関しては、私の知識不足で心臓移植者待機登録年齢が60才未満であれば心臓移植対象者ということで、落ち着きました。
これ以外にも年齢で引っ掛かることが、ありました。
病院では若い人たちが、VAD装着して心臓移植を待っていました。
私が、受けていいのだろうか?
私が平均寿命まで生きて、あと20年。若い人たちなら、40〜50年。
善意の心臓を生かし切るには自分でいいのかと。
私にとってのその答えは、次の課題の中で出てきました。
人の死によって成り立つもの
心臓移植に関しては、人の善意によって成り立つものときれいな言葉で表現されても、人の死によって成り立つものであるというのが現実だと思います。
「人が死ぬのを待つの?」
「そこまでして、生き延びたいの?」
これは、自分の中で問いかける言葉でもあり、いずれ周りからも問いかけられる言葉に、自分なりの答えが持てるかどうかが重要な気がしました。
自分が腑に落ちなければ、緩和ケアを選択します。
病院の中だったので、ネットでそのような問いに答えた例を何日も長時間探しましたが、たどりつけませんでした。
結局自分に問いかけるしかなかったのです。
人の死を待ってるのか?
には、
待ちたくない。
そこまでして、生き延びたいか?
そこまでしてではないけど、まだ生きられる余地があるなら生きたい。
これが、素直な気持ちです。
待つのは嫌だけど、生きたい。
そこから、時間をかけて
待たずに、生きたいと変化していきました。
私にとっての待たないとは、積極的に待つのでなく、縁があれば受け入れさせていただくという感情です。
私は肉体の多くは生きてますが、心臓だけは死に体です。
もし、肉体が何かのために死に体になって、心臓が生きている場合、その人の命を引き継がせてもらえる縁があれば、精いっぱい引き継がせて頂きたい。
これが一番しっくりきました。
心臓移植にたどりつけなくても、あと何年かは今の医療技術で生き伸ばせていただけるだけでもありがたいと今できることをして生きてます。
介助者
VAD装着するには、いろいろ条件がありますが、その中で、心臓移植完了までVAD装着者の介助を24時間365日する介助者が要ります。
介助者に計り知れない負担をかけるのが嫌で、もうこれで終わりにしようと緩和ケアを選ぼうとします。
初めて心臓に関する病気になって28年。よく今までもったなと。そろそろ引き際なのかなととも思いました。
まだ、生きれるなら生きたいという気持ちも揺れ動きます。
私のパートナーとも話し合いました。
すぐに明瞭な答えが出ません。
パートナーもキャリアを積みかさね、翌年4月からはあらたなことをチャレンジするところまで決まってました。
心臓移植への選択は、彼女のキャリアと自由を奪うことにもなります。
パートナーは、介助者となって制限受けるのは辛い、でも、介助者が嫌だからと緩和ケアを選ばれたら、もっと苦しむ。どっちも辛いと。
子供たちも病院まで来て、談話室を借りて話もしました。
子供たちは聞きます。「生きたいのか?」と。
生きたいのなら生きたいので介助者をお願いしますと母にはっきりと伝えてくだいと。
母が受け入れたら、私たちは全面的に協力すると。
その代わり、移植にたどりつけるように真面目に自己管理すること。
そうしてもらわないと、なんでサポートしてるんだとなってしまうしサポート辞めるとも。
真剣に兄弟で話し合って来たんだと、涙があふれそうになりました。たぶん、目は赤くなってたと思います。
心臓移植へ向かうと決める
翌日だった思います。
パートナーのキャリアと自由を奪うという負い目は一生背負うとと決めて、生きたいので介助者をお願いしますと伝えました。
まずは、介助者に少しばかりの休息を、が私の課題になりました。
私も同じように移植待機者になるべきか悩みました。
でも、やっぱり人間は死を選ぶ事は難しい。死ぬにしても生きるにしても理由がなければ選べません。
私の場合は甥っ子に説得されました。今まではその選択は正しいと思えるように頑張ってます。
死ぬのはいつでもできますし、必ずやってきます。だから、生きられるのなら生き抜いてみようと思います。
私は逆の配偶者の立場だったので、
50代の夫を失うか?(緩和ケア) それとも VADを入れるか?(心臓移植を待つか?) で揺れました。
夫の場合、拡張型心筋症の診断からβブロッカー投薬で15年以上「フツー」に過ごせていました。昨年末、急に心不全が進行して内科的治療の限界が来た(強心剤から離脱できなくなりました)ということもあって、正直言うと昨年11月に入院した時は「点滴でしか使えないちょっと強めの薬剤を投与したら、家に帰って来れる」と思っていたので、このまま家に帰ることなく病院で死なせたくない!と思いました。まだまだ夫としたいことがあるんです、子どもの受験で一緒にあたふた迷うとか、子どもが成人した時に一緒に子どもの誕生年の梅酒を飲むとか。
心臓移植の件数が少ないこと、夫よりも若い世代の方も移植を待っていること、心に引っ掛かることは多々ありましたが、イシイサトルさんの補助人工心臓体験記を読んでVADをつけることに希望を持ちました。合併症さえなんとか乗り越えることができたら、VADつけて移植待機期間の約5年は生きることができる、家に帰って来れる、もしかしたら職場復帰もできるかもしれない、ということが希望でした。夫は50代半ばなのでVADをつけることでの生活上の制約はあっても、あと5年の命があったら…BTTではなく結果的にDTになったとしてもいいからVADを夫につけてほしいと考えていました。介助者問題はきつかったけれど、協力してもらえる親族をかき集めて申請を潜り抜けました。(でも、もし数年後に夫に心移植の話が来たら、他の方に譲るのではなくありがたく受けると思います)
幸運だったのは、それまで住んでいた場所から引っ越しすることなく通院できる心臓移植登録施設があったことでした。子どもが中学生だったこともあり、大阪や東京に引っ越して住環境を変えてまで、移植登録の道を選ぶことができたかどうかはわかりません。
今の条件で、どう考えるか?だけですよね。
もしの仮定で考えても、その時、その場にいないと分からないです。
今の状況に、運がよかったと思い、できることをしていくだけだと思っています。
介助者に負担をかけているのは、心苦しく思います。