
「このままでは生きられない」そのような言葉より始まった私のVAD生活。
拡張型心筋症という難病、いつまで続くかわからない命のロスタイムに少しだけ怯えながら心臓移植の機会を待つ日々を過ごしてきました。

この記事は2019年12月16日(VAD装着1,768日目)のリライト記事です
精神を病み、会社を休職し退職
僕は拡張型心筋症のため心臓移植(≒補助人工心臓の植込み手術)という治療を選択した。
しかし、その治療の過程は薔薇色ではなく時に茨の道へと迷い込むこともある。
それは心臓だけでなくココロも同様である、そして私は昨年12月より休職に入っていました。
夏頃より復職へ向けて調整を進めていましたが補助人工心臓エバハートのポンプ停止不具合の件とも重なり、その状況は混沌としていました。
私自身が自宅ではなく心臓移植まで病院で過ごしたいという意向を出したことで退職を決断することができました。
補助人工心臓を装着してからの復職
補助人工心臓という未知な医療機器をつけた私を受け入れていただきくにあたり、会社の沢山の方が忙しい業務の合間を縫って機器取り扱いやトラブル発生時の対応を学習いただきました。
会社ではVAD専用コンセントの設置や緊急時の体制整備など、私には想像もできないようなコストをお掛けしたと思います。
復職して4回目の冬、皆様の期待に少しでも応えることが出来ていたら嬉しく思います。
この度は私自身の体調や補助人工心臓の不具合など様々な要因が重なり退職する運びとなりました。
もし私が心臓移植を受けて元気な体を得た暁には、この経験を糧にして新たな道を歩みたいと思います。
VADを装着してからも変わらず仕事をご一緒させていただいたお取引先方、ふとした優しさがこもった言葉が私の原動力でもありました。
お客様の願いは何なのか?
私に何を期待しているのか?
私は自分のできる限り考えて行動してきましたが、満足のいくサービスを提供できなかった場面もあったことかと思います。
きっと私が秀でた人間であれば病気であっても満足のいくサービスを提供できていたのであろうと思います。ひとえに実力が足りなかったと痛感しています。
また、それでも私に対して期待いただけていたことが良いプレッシャーとなり、間接的に楽ではない闘病生活の原動力にも繋がってたと感じております。
あらためて感謝申し上げます。
心臓移植待機生活における家族の負担
私の復職は家族の多大な負担の上に成り立っていました。
人工心臓の取り扱いをマスターした介助者と24時間共に過ごさなければならないという制約の中での復職、私には知ることのできない苦労があったと思います。
その苦労はどのような言葉を掛けても埋め合わせできるものではないでしょう、この先は更に厳しい状況に入ると想像しています。
ありがとうございます、そして近くても遠くてもよいのでもうだけ少し側にいてください。
正直なところ日本国内の臓器移植事情がもう少し明るければ異なる状況だったことでしょう
、悔しい気持ちもあります。
これからも国内での臓器移植および臓器提供を少しでも多くの方にご理解いただけるよう微力ながら貢献できればと思います。
これからは後ろを振り返らずに10年先の未来を想像して前進します。
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