補助人工心臓を植え込んだ私にとって、昨日の日経メディカルで気になる見出しの記事が掲載されていました。
リンク日経メディカル 補助人工心臓が「死ぬまで使う」医療機器に
詳しい内容はわからないが、おそらく触れられてはいないであろう一患者のモヤモヤした気持ちを書き出しておく。
この記事は2019年3月27日(VAD装着1,504日目)のリライト記事です
補助人工心臓の適用対象拡大は良いことだ
私はVADの適用対象拡大については良いことだと捉えています。
現状は治験を除き、心臓移植対象者でないとVADを使うことができない。(すべて自己負担であれば可能でしょうが…)
それら条件の一部を書き出すと下記の通りだ。
心臓移植の適応条件
- 不治の末期的状態にあり、以下のいずれかの条件を満たす場合
a.長期間または繰り返し入院治療を必要とする心不全
b.β遮断薬および ACE 阻害薬を含む従来の治療法ではNYHA III 度ないし IV 度から改善しない心不全
c.現存するいかなる治療法でも無効な致死的重症不整脈を有する症例
- 年齢は 65 歳未満が望ましい
- 本人および家族の心臓移植に対する十分な理解と協力が得られること
心臓移植の除外条件
- 絶対的除外条件
- 肝臓、腎臓の不可逆的機能障害
- 活動性感染症(サイトメガロウイルス感染症を含む)
- 肺高血圧症(肺血管抵抗が血管拡張薬を使用しても6 wood単位以上)
- 薬物依存症(アルコール性心筋疾患を含む)
- 悪性腫瘍
- HIV(Human Immunodeficiency Virus)抗体陽性
- 相対的除外条件
- 腎機能障害、肝機能障害
- 活動性消化性潰瘍
- インスリン依存性糖尿病
- 精神神経症(自分の病気、病態に対する不安を取り除く努力をしても、何ら改善がみられない場合に除外条件となることがある)
- 肺梗塞症の既往、肺血管閉塞病変
- 膠原病などの全身性疾患
出典元2016 年版 心臓移植に関する提言(JCS 2016)
このドキュメントは心臓移植について詳しく書かれています。
あえて患者本人や家族が読む必要はないと思いますが、心臓移植にかかわる医療従事者やグリーンリボンなどの普及啓発活動をを行う方達は読んでおきたいドキュメントの一つでしょう。
日々を元気に過ごしたいという願い
患者自身が「日々を元気に過ごしたい」、家族が「日々を元気に過ごしてほしい」と望むことは誰しもが意識せずとも願うところではないだろうか?
私のように心臓移植を待つ患者・家族にも共通することだろう。
そして、心臓移植の対象とならない(植込み型補助人工心臓)を使えない方達にも共通することだと思いますが、いかがでしょうか?
そもそも元気とはなんだろうか?
- 心身の活動の源となる力。
- 体の調子がよく、健康であること。また、そのさま。
- 天地の間にあって、万物生成の根本となる精気
あなたは元気ですか?
VADをつけてる私は元気なのか?
私は植込み型VADをつけて日々を元気に過ごせているのだろうか?
そのような自身の問いに答えてみたい。
死ぬような苦しい状況から回復し、自宅で生活できるようになりました。
私の過去に体験した出来事からは想像もできないような素晴らしい日々を過ごすチャンスを与えられました。そう心の底から感謝しました。
しかし、自宅生活の日々が長くなるにつれて色々なことと対峙し、自身の心と向き合う辛い生活も並行して与えられていました。
それらの状況を差し引いても「生きたい」を選択してよかったと思えた、それが植込み型VADに秘めたらポテンシャルの高さだろう。
色々なことと対峙しながらも復職し、VAD装着者や家族などとのコミュニティを立ち上げ、微力ながらも移植医療の普及啓発といった活動にも携わることができていました。
語彙力の乏しい私では表現できないような苦しい状況もありますが、それらを相殺しても多少のお釣りがくる程に元気な生活を過ごしていました。
しかし、心臓移植待機生活5年目を迎えた現在の状況はどうだろうか?
日が経つにつれてマイナス要素ばかりが力を増し、プラス要素を失っていくことを感じています。
2017年10月のブログ記事「これがリアルな心臓移植待機生活だ」 で綴ったマイナス要素が強くなってしまった状況である。
バランスを失ったシーソーの傾きには歯止めがきかず、間もなく底を着くことだろう。
(もしくはシーソー自体が折れるというべきか?)
VADという医療機器の限界点はどこにある?
今の私が植込み型VADという医療機器で得られる元気の限界なのだろうか?
「心臓移植まであと3年待ちなさい」と言われたら、今の私なら「無理です」と即答することだろう。
現在の生活の延長線上にある3年後を想像するなんて正直馬鹿げていると思うし、考えるまでもない。
しかし、日本の心臓移植事情を見るとそのような状況へと近づいているのではないかと感じる。
断りを入れておきますが、これから心臓移植登録やVAD装着を希望する方の不安を煽るつもりはありません。
実際に日本で心臓移植を待つ一患者として「然るべき方達へ声を届けなければならない」という使命感で書いている次第です。
VAD装着時の制約も変わる?
今回のニュース記事では移植までの繋ぎとしての補助人工心臓利用(BTT)ではなく、心臓移植を目的としない補助人工心臓利用(DT)についてである。
私のようなBTT利用は心臓移植が目的であることから、長い道のりをベストコンディションで維持する必要があります。そのため、厳しい行動制約があるのは致しかたのない事なのでしょう。
一方で心臓移植を目的としないDTでは目指す先が異なるのだから、その日々の制約内容はBTTとは異なるものになるのだろうと予想しています。
私はDTではないが丸4年間VADを利用している身として言いたいことがあります。
私は 心臓移植を受けて元気な日々を過ごしたい という未来への願いを持っている。
同時に 今という日々を元気に過ごしたい とも願っている。
後者はDT利用でも共通する点ではないだろうか?
むしろ主目的になるのであろう。だからこそ患者サイドの行動制約も大きく違いが出てくるのは当然のことだろう。
私が予想するにDTの行動制約はBTTよりは緩くなると考えていますが、目的が違うのだからそれは自然なことだと思います。
私自身、BTTの行動制約で「死ぬまで使いたい」という気持ちは持てない。
それでは私の生活環境では人間らしく生きていくことができないからだ。
持続可能な医療に成長してほしい
BTT・DTも患者だけではなく、医療経済として持続可能性を有しているのだろうか?
財源はどこから出てくるのか?
植込み型補助人工心臓自体は機種にもよるがおおよそ2000万弱の費用がかかり、その維持費は年間一人当たり1000万を超えている現状がある。
心臓に限らず移植適用条件を広くできれば、臓器移植という「ローコスト医療」も実現可能ではないのか?
むしろ、日本が目指すべき先はそこにあるのではないのか?
頭の中でグルグルとめぐる考えの先には「国内で臓器移植という医療の普及が急務」という点に辿り着く。
そこには世間に臓器提供という制度と意思表示の大切さを理解してもらいつつ、医療施設側で臓器提供を受け入れることが可能な体制整備を強く進める必要もあると考える。
あなたは臓器提供できないかもしれない
あなたの地域で救急搬送されるであろう病院は、臓器提供が可能な施設だろうか?
一度調べてみてはどうだろうか?
臓器提供の意思表示をしていても、その病院に運ばれなかったらどうなるのだろうか?
厚労省がガイドライン上の5類型に該当する施設に行ったアンケートで、臓器提供施設として必要な体制を整えていると回答し、施設名を公表することについて承諾した施設は次の通りです。
日本臓器移植ネットワーク ガイドライン上の5類型に該当する施設(令和2年3月31日時点)
他国の臓器提供事情について<オランダ>
オランダでは2016年に成人が臓器移植のドナー(提供者)となることを原則とする法案が成立し、2020年に施行される予定だ。同法案は日本と同じようにオランダ国内で臓器移植のドナーが不足している現状に対応する目的で提案された。
法案の概要
事前に拒否の意思を示さない限り、全成人がドナーとして登録される。
まだ登録を済ませていない18歳以上の国民に対しては、臓器提供を希望するかどうか確認する通知を全員に送付する。6週間以内に返答がなかった場合、その人物はドナー候補として登録される。
※臓器提供を希望するかどうかは、自分で意思表示をするほかに、近親者や自分が指定する人物に判断を委ねることもできる。臓器提供に関する意思は、いつでも変更することが可能である。
「オプト・イン」と「オプト・アウト」の制度の違い
臓器提供意思表示には大きくオプト・インとオプト・アウトという2つの制度に分けることができる。
オプト・インは米国・英国・ドイツそして日本のように臓器提供をしたい場合にその意思表示をする方式。
もっと簡単にいうとオプト・イン(日本)では初期値が「臓器提供をしない」であり、そこに本人の「臓器提供をする」という意思があれば「臓器提供がされる」、もしくは家族全員の承諾をもって※1「臓器提供がされる」のである。
※1 臓器移植法では盛り込まれておらず、2010年の改正臓器移植法で盛り込まれた内容です。
日本は改正臓器移植法は拡張されたオプト・インという立ち位置だろうか?
「オプト・アウト」の代表国 スペイン
日本のオプト・インに対して、スペインでは本人が臓器提供拒否の意思を示していない以上、臓器を摘出してもよいとするオプト・アウトを採用している。
詳しい説明は専門の方に譲るとして、これはスペインという国の経済事情とも関係していると認識している。
さて、日本はこれからどのように変化しなければならないのだろうか?
その変化を見届けるためにも、私は心臓移植を受けたいと願うのです。
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