補助人工心臓体験記

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【VAD生活1,800日目】2019年の出来事を振り返る

【VAD生活1,800日目】2019年の出来事を振り返る

この記事は2020年1月18日(VAD装着1,800日目)のリライト記事です

東京でも雪が舞った1月18日、補助人工心臓を植え込んでから1800日目を迎えることができました。
はたして僕のVAD生活は2000日を超すのだろうか?

2019年のVAD生活を振り返る

僕は今の体調をキープできるならそれも悪くはないと考えてしまいます。
これまでの僕であれば想像すらしないことでしたが、心臓移植待機生活が長引くほどに世間との感覚がずれてきているような気がします。

例年であれば大晦日にその年を振り返ったブログ記事を投稿するのですが、今年は年が明けてしばらくしてからの投稿となった。
補助人工心臓生活1800目を迎えた心臓移植待機者の2019年(平成31年、令和元年)はこのような年でした。

1月 仕事を休職する

自宅で2019年を迎えることが出来た、しかし、他のVAD患者がうらやむような移植待機生活を過ごしているわけではないと思う。この時点で仕事を休職していました。

休職のきっかけを上げるとするならば、2018年にワイヤー抜去手術を終えて仕事復帰したあたりだろうか。
公私ともに体力、精神的にかなりキツイ生活を送っていました。
関連記事胸骨のワイヤー抜去を終えて退院してきました

創部悪化のきっかけとなる出来事

きっかけは些細なことだが、振り返ればここが悪化への始まりだったのかも知れません
刺入部の状態は消毒時に詳しくチェックしていますが、それらの進行を阻止することはできなかったようです。

2月 創部悪化、肉芽と初対面する

それまでは肉芽とは無縁の生活を送ってきたが、3週間に一度だった通院頻度が週一に引き上げられました。
これが極初期の肉芽だったのだろう。
肉芽未経験の頃は「自分の努力しだいだろう」と考える節があったのですが、それが思い上がりであることを思い知りました。
昔、VAD仲間の一人が発した『肉芽になるときはなる』という名言があります。
まさにその通りです。

アナフィラキシーで救急搬送される

カシューナッツを食べて救急搬送されたことが良くも悪くも創部状態を変化させたようにも感じます。
シャワー中に起きた急激な症状、ドライブライン無固定状態で救急搬送されてドライブラインが引っ張られて悪化したのか?
それとも入院中に刺入部の処置してもらえたから悪化をそれ以上の止めることができたのか?

コニュニティーを閉鎖する

旧・井戸バド会議を閉鎖しました。

これまで様々なリスクを考え運営してきました。
その中で絶対に起こしてはならない事象があります。
それはとてつもなく危険なことであり、私が考えるリスクの中で一番危惧していたことでもあります。

その事象が明確になったら潔くコミュニティを潰そう、その考えを持ちながら運営してきました。
そして、その事象が明確となった今、私自身および多くの繋がりを持つ方たちを守るためにもコミュニティを閉鎖します。
具体的な内容は触れませんが、心当たりのある方は胸に手を当てて考えてみてください。

2019/2/21のブログ記事より

3月 完全なる別居をはじめる

入院していたこともあってか、色々なモノゴトをゆっくりと安心して考える時間が増えた気もする、それはブログ記事の投稿にも表れていたようだ。

それまでも私の面倒の大部分は実家の両親に見てもらっていました。
子の進学と合わせて妻・子と別居しました、それが長期化する心臓移植待機者のリアルな一面です。
その事実を知った上で下記記事を読んでいただけると、私の考えてが少しは理解できるでしょう。

該当記事『補助人工心臓を死ぬまで使う』一人のVAD患者が感じること

4月 臓器提供件数が増える

2019年4月は臓器移植法施行後もっとも臓器提供件数が多かった月でになりました。
この頃に一人の心臓移植待機者として「もしかしたら」という緊張感を強く持ち始めました。
しかし、2019年にその機会と巡り合うことは無かったようだ。

5月 収入と就労問題にぶつかる

病気や障がいを抱えても何かしらの収入を得なければ生きていけない現状があります、それは心臓移植待機期間だけでなくその先の人生においても必要なことです。

働けるなら働きたい、それが当時も今も変わらない気持ちです。
復職について意識し始め主治医へ話を切り出したのがこの頃でした。
主治医から帰ってきた言葉は当時の私にとっては渋いものでした。

8月 復職に向けた調整がはじまる

「心臓移植が近くても復職したい」そんな気持ちで悶々とした日々を過ごしていましたが、ようやく復職への調整がはじまりました。
12月の復職を目指して生活リズムを崩さないよう気を付けて日々を過ごしていました。

9月 長期入院生活がはじまる

とある日の朝方にVADのコントローラーから激しいアラーム音が鳴り響きました。
寝ていた私はその無機質な音によって脳が覚醒され、急いで身を起こしてコントローラーに表示されるエラーコードを確認しました。

今まで目にしたことのないエラー番号が表示されて一瞬身構えたが、次の瞬間にはエラーコード表の番号を照らし合わせる作業に入っていました。
アラーム音を発しつづけるコントローラーを抱えながら父の運転する車で病院へ急行した。それが今日に至るまでの入院生活の始まりです。

関連記事『僕の出した答え』補助人工心臓のポンプ停止不具合による自主回収

12月 新たな旅立ちを迎える

「入院していては復職できない」その判断は当然だろう。
新たな旅立ちの機会をいただきました。

関連記事心臓移植待機者 精神を病み休職、退職しました

この記事の著者

Satoru Ishii
この補助人工心臓体験記の運営者です。
僕は拡張型心筋症で2015年2月にエバハートを埋め込み、心臓移植待機者になりました。
僕もいつかはVADを卒業する日が訪れます。(訪れました)
僕が成し遂げたいことは後継者を作ることではなく「当事者が声を上げていいんだよ」という雰囲気作りです。
これから先も地道に発信していきます。

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