補助人工心臓体験記

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心臓移植待機生活 第一楽章のはじまり

心臓移植待機生活 第一楽章のはじまり

この記事は2016年5月27日(VAD装着470日目)の記事です
※原文ママ

2016年の年始から構想を練り始め具体的な準備を進めてきました。
これまでのブログ記事はあくまでもプロローグであり、今日からは「補助人工心臓体験記」の第一楽章がはじまります。

これまでの補助人工心臓体験記との違い

私の生活が大きく変わるわけではありませんが、VAD生活で発信する内容を変えました。Facebookは実名登録が原則なのですが心臓移植待機者という状況もあり異なる名前を利用していました。そして今日、Facebookアカウントを実名に切り替えました。

私が実名を公表した理由

インターネットに限らず私の体験を伝るためには読み手にとって「身近な存在」「実在する日知」と感じてもらう必要があり、それには匿名ではなく実名であることも重要なことだと感じていました。

このブログには具体的な内容を書くことはできませんが、「一昨日の出来事」が決め手となり実名公表へ踏み切る決断ができました。

私が実名公表を躊躇していた理由

実名を晒すことで自身の心臓移植後に起こりうる心配毎がありました。

ドナーご家族が誰に移植されたか推測できてしまわないか?

ダイレクトな繋がりが出来てしまわないか?

日本での心臓移植は日本臓器移植ネットワーク(JOT)が斡旋しており、その方針と改正臓器移植法より「レシピエント」と「ドナーご家族」の直接接触は好ましくない事態と読み取れます。実際に「レシピエント」から「ドナーご家族」に宛てて手紙(サンクスレター)を送ることは可能です。(中身はドナーご家族に送付される前にチェックされます)

将来的にどう変化するのかはわかりませんが、現時点では上記のような状況から分かるように繋がりを持つような情報を晒すべきでないと思っていました
しかし、ブログやSNSで体験談を伝えたり、国内臓器移植の理解を深めるための発信では「身近な存在」「実在する人」と感じてもらう必要があり、それには実名であることも重要なことだと感じています。この考えに賛否があるとは思いますが、私は実名公表へ踏み切りました。

レシピエントを完全匿名にすることはそもそも出来ない

人は一人で生きているわけではありません、生きていれば社会との繋がりを消すことはできません、生きていることはどこかに必ず足跡が残ります。社会生活上、それは仕方のないことであり容易さは違えど今も昔も変わりません。
そして、金銭や労力を惜しまなければレシピエントの情報は必ずさかのぼれることでしょうね。それもまた、今も昔も変わりません。

但し、理想に近づける努力は必要

皆さんの家族・知人を含めてインターネットを全く利用していない方はどれだけいるでしょう?老いも若きもインターネットを使って様々なサービスを享受しているのではないでしょうか。

例えばFacebook、Twitter、インスタグラム、LINEなどのSNSは使っていませんか?自分の名前やプロフィールをGoogleやYahoo!で検索したら表示されませんか?私も現代人としてそれなりにインターネットを利用しているので、何かしらの情報が残っていることでしょう、それを消すことは非常に難しいことです。

この数か月間で容易に私を辿れるような情報のブラインド化を行ってきました。その中にはエゴサーチ対策も含まれています。

そして、出来る範囲でブラインド化が出来たのがG.W.明けのことです。素人なりに出来る限り理想へ近づける努力をしました。
これ以上のことをレシピエントに求めますか?そもそも他のレシピエントはそこまでしていない人も多いことでしょう。

心臓移植を受けた事実の公表

私と同じようにVADを装着して心臓移植を待っているブロガーさんに聞きたい。
あなたは何のためにブログを書かれていますか?
ブログを書く中で一度は考えたことがありませんか?

移植を受けた事実をいつ公表しようか…

JOTでは移植実績(大まかなレシピエントの情報を含む)が公開されます。それは次のような情報があります。

  • 脳死判定日
  • 移植臓器
  • 移植施設名
  • 年代、性別

私は自身がVAD手術を受けた日を公表しています。投稿の内容からも性別やおおよその年齢や地域も把握できてしまいます。そして、平均移植待期期間から移植時期も推測できなくはありません。

もし「移植を受けた事実」を書いたら

想像がつきますよ。ドナーご家族が金銭や労力を惜しまなければレシピエントが私であることを分かってしまうことでしょう。極端な話、探偵でも雇えば私の住所や電話番号まで辿れることでしょう。
しかし、それは心臓移植のレシピエントとドナーご家族に限った話ではないはずです。例えば腎臓移植のレシピエントはとても数が多く、その数によって個人はブラインドされます。
それを理由に当事者が自身の体験を発信禁止を強要するのはいかがなものだろうか?
難しい問題ですね、世間で騒ぎになるとすれば「私」と「ドナーご家族」という当事者ではなく「外野」が騒ぐのでしょう。

心臓移植後の活動を見据えた課題

私は心臓移植後に色々な活動をしたいと考えています。その活動は国内臓器移植への理解を深める活動もあるでしょう、そしてそこでは実名での活動が求められるでしょう。その活動の結果、仮にドナーご家族がインターネットで私を探して見つけたとしましょう。

それは罪でしょうか?

私達は何かの法を犯したのでしょうか?

高度に発達した情報社会だからこそ、辿れてしまうのはある程度は仕方のないことでしょう。犯罪を犯した人を特定するかのように、芸能人の住所を特定するかのように不可能なことではないでしょう。ではどうすればよいのか?

当事者の情報発信をやめればいいのか?

心臓移植を待っている間は声を潜めていればいいのか?

はたしてその状況は正しいと言えるのでしょうか?
その状況下で世間への臓器移植の理解は進むのでしょうか?

事実を適切なタイミングと方法で公表する

心臓移植待機者では次のように考えられている方も多いのではないでしょうか?一つの例を挙げるとすれば

移植を受けてもしばらくは公表しない

それでも不十分と言うのならば対案を

シビアな見方をすれば、しばらく待つだけでは不十分だと思っています。それは先に書いたエゴサーチのようなこともあります。
年間の心臓移植件数自体が少ない日本(年60件前後)において、不特定多数の医療施設で心臓移植が行われているわけではありません。これは少し調べれば誰にでも分かることです。

絶対的移植件数が少ない現状では同じような特徴を持った人はそう数多くはありません。このような状況では1年以上の期間を開けて事実公表をしても容易にインターネット上の情報と符号してしまう可能性はあります。
だからこそ、待機者の現状を発信してほしいと言いながら書くなということについては対案が欲しい。

今まさに心臓移植を待っている人、既に心臓移植を受けられた人、すなわち当事者が臓器移植の普及啓発に参加することに異論はないと思います。ただし、これだけ高度に発達した情報社会ではレシピエントが声を上げることも躊躇してしまう状況があります。それは非常に勿体ないことだとも感じます。

少なくとも補助人工心臓を装着してから1年間考えてきました、その考えを基に出来る限りの対策をしてきました。レシピエントの中にはインターネットから「ドナーご家族」との繋がってしまう可能せいについて何らかの不安を持っている人がいます。そのことで自身の思いや体験を伝えたくても躊躇してしまう人がいます。
私もその中の人です。私も怖いです、特に外野の声が怖いです。
しかし、それで黙ってしまうことは非常に勿体ないことではないでしょうか?

国内臓器移植の普及へ弾みをつけるために必要なこと

それは今まさに臓器移植を必要としている人達の声ではないでしょうか?それは心臓移植に限った話ではありません、腎移植も肝移植も同じです。

私は情報発信者として植込み型補助人工心臓 エバハートを装着してよかったと思います。その理由は、自ら動き、当事者の声を発信できる(仮)元気なレシピエントになれたからである。
補助人工心臓 エバハートには感謝している。

植込み型補助人工心臓がない時代では心臓移植のレシピエントになられる方自身がココまでの活動をできたでしょうか?
今がまさに国内臓器移植への理解を得るための一つのターニングポイントではないだろうか?

私は心臓移植待機者という当事者として、これからも出来る限りの発信を続けるつもりです。それは社会のためだけではなく私自身の心臓移植待機生活を前向きにするためでもあります。
その結果としてほんの少しでも国内臓器移植への理解が深まれば幸いだと思っています。

やっと1年間のプロローグを脱することができました。私が深く考えすぎているだけなのだろうか?そうであったらよいのですが。
今日から始まった「心臓移植待機生活 第一楽章」を楽しみにしています。

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私は心臓移植後、自身が納得できるまでは事実を公表しません。そして、その方法は心臓移植を受けた後に改めて考えます。

様々な立場の方からご意見をいただきたいところですが、書かなくても結構です。いつか実際にお会いして意見交換ができる場を作りたいと思います。
インターネット上での意見交換はその次の過程と考えています。

この記事の著者

Satoru Ishii
この補助人工心臓体験記の運営者です。
僕は拡張型心筋症で2015年2月にエバハートを埋め込み、心臓移植待機者になりました。
僕もいつかはVADを卒業する日が訪れます。(訪れました)
僕が成し遂げたいことは後継者を作ることではなく「当事者が声を上げていいんだよ」という雰囲気作りです。
これから先も地道に発信していきます。

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