補助人工心臓体験記

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VAD患者本人が補助人工心臓エバハートの製造現場を訪問してきた話

VAD患者本人が補助人工心臓エバハートの製造現場を訪問してきた話

この記事は2016年4月4日(VAD装着417日目)のリライト記事です

ご縁があり補助人工心臓エバハート(EVAHEART)を開発・製造しているサンメディカル技術研究所へ訪問してきました。
サンメディカル技術研究所は長野県諏訪市にあり、私の通っている病院からは2時間圏外の場所にあります。心臓移植を待機している間は2時間圏外への外出が出来ないと思っていましたが、そのハードルを越えることができました。

気分はまるで日帰り旅行

私が外出可能な範囲は病院のある新宿から2時間圏内です。
これは、植込型VADを管理できる病院の近隣2時間圏内に居住するのが原則とされているからです。2時間圏内が何か不測の事態があっても対処できる範囲とされています。
今回は主治医と現地合流するような形での訪問だったこともあり、病院から2時間圏外の場所に行くことが出来ました。

立川駅から特急電車(あずさ3号)に乗って上諏訪駅に向かいました。
私はずっと車窓から流れる景色を眺めていました。
そんな感じで気がついたら一駅乗り過ごしていましたが、このような出来事さえも何だか新鮮で嬉しかったりします。

サンメディカル技術研究所を訪問した理由

病院の方にエバハートを装着している患者の「生の声」を聞かせて欲しいとの依頼があったそうで、私は二つ返事で引き受けました。
私もエバハートを開発・製造している方達に伝えたい想いがあるので、そのチャンスを精一杯に使わせていただきました。

とはいえ、その依頼に対しての不安が無かったわけでもありません。
依頼内容に沿って喋るわけですが、今回は40分という長い持ち時間です。
今までにも人前で自身の体験談を喋る機会はありましたが、こんなにも長い時間は初めての経験でした。

イシイ サトルは何を伝えたのか?

サンメディカル技術研究所に到着した際に「今日はほぼ全社員が集まっています」と伝えられましたが、直前には「今日はアメリカとも繋がっています」と言われました。

まさかのライブ中継ってことですか…
とても緊張したのかいつも以上に水分補給をしていたような気がします。
しかし、ここまで来たら不格好でも伝えきるしかありません。
頂いた時間をフル活用させていただき、最後には私なりの言葉で感謝の気持ちをお伝えさせていただきました。

私に未来への希望を与えてくれたEVAHEARTに感謝しています。

「未来のない患者」から「未来のある人」へ

「父親」という存在に戻ることができました。

EVAHEARTは「患者の命を救う」だけでなく、「人の尊厳」をも取り戻してくれる素晴らしいデバイスと感じています。

講演のスライドより

「エバハート装着者を代表して」ということではなく、あくまでも「エバハートを装着しているイシイ サトルとして」伝えてきました。

講演終了後、会社のエントランス前で山崎社長と一緒に写真撮影をさせていただきました。

命と向き合うのは医療者と患者だけではない

今回の講演を行う前に、山崎社長からエバハート開発の歴史や開発秘話を直接お聞きすることができました。
そのお話の中で、一番印象に残った言葉があります。

人工衛星と同じで、一度放つと手が出せない

絶対に壊れてはいけない

エバハートは「小惑星探査機 はやぶさ」と開発時期が近いそうです。
日本では同時期に「広大な宇宙」と「体の中の小さな世界」という両極端なフィールドに立ち向かっている人達がいたのです。

エバハートに与えられたミッションと開発者のプレッシャー

「宇宙」と「人体」、どちらのフィールドも過酷極まりない環境ですが、私はこんなことも思いました。

補助人工心臓の場合は、
大変だけど手が出せるのではないか?

しかし、人工衛星と補助人工心臓では与えられたミッションが違います。
補助人工心臓は人体(心臓)というフィールドです、ミッションに失敗した場合は命を失うことに直結する。

人工衛星に与えられたミッションとは性質が異なり、エバハート開発陣のプレッシャーも相当のものだったと想像します。
そこには「医師ではない開発者が他人の命と向き合う」という状況があるのですからね。

私も「コントローラーが重い」「ドライブラインが太い」などと沢山の不平不満を言ってきましたが、今回のお話を聞いて少し反省しなければならないとも感じました。

私はエバハートを装着して命のロスタイムを得ました。
退院して復職することもできましたが、VADを付けたことで制限されることも増え、新たに悩み苦しむことも数多くあります。

けれども、(当時)5歳と3歳の我が子と食卓を囲み、外で遊ぶことができている今の状況はエバハートが無ければ永遠に訪れることのない未来でもありました。
考案者である元・東京女子医大 山崎教授をはじめとしたお世話になっている医療従事者、補助人工心臓の開発に携わる関係者の皆様にはとても感謝しております。

山崎先生のお人柄エピソード

横浜で開催された市民公開講座の後、心臓移植者の懇親会にお邪魔させていただく機会がありました。

そこで山崎先生やかつてVADを装着して心臓移植を待たれていた方達と沢山のお話をさせていただきました。
山崎先生のお人柄は見た目そのままで優しく懐深いものがあり、話していてとても安心します。

こうした経験を通じて、自身の移植待機期間中や心臓移植後の生活のビジョンがおぼろげながらに見えてきたようにも感じます。それらの経験は今の自分を支える重要な財産となっています。
今回の訪問ではエバハートが単なる医療機器ではなく、私の今後の人生を形成する重要な要素にも思えてきました。

私は「もっと知りたい」と思うようになったわけです。
それはVADという「機械を知る」のではなく「自分を知る」という感じでしょうか。
今は「エバハートを装着した私が」「置かれている状況」を「知る」ということに興味を持ち始め、その結果、移植医療の普及啓発などにも興味を持ち始めてきました。

この記事を読まれている方は補助人工心臓体験記の立ち上げ当初の色を知らない人が殆どでしょう。
当初はVADそのものや日々の生活にフォーカスした記事ばかりを発信していました。
しかし、今では心臓移植やその周囲の環境についても気にするようになり、時には自分の足を運んで記事にするなど、日々の生活の中でもアンテナの幅が広がってきたように感じています。

今後、補助人工心臓体験記はどのように変化していくのだろうか?
それは私自身にも分かりません。
ただ、その時代に求められる形を私なりに先読みしながら、自身の心臓移植が来るその日まで続けられたらとは思います。

「エヴァハート」開発物語

今回の訪問時に頂いた小冊子「エヴァハート」開発物語(24ページ)には、開発陣の話だけでなく、エバハート第一号患者のお話などが詰まっていました。
※ 中身を紹介したいのですが、著作物なので掲載は控えます。

歴代の試作機がずらりと並ぶ会議室

私はVADを植え込んでからインターネット上のありとあらゆる情報を漁ってきましたが、その情報の中にはエバハートの開発経緯などのニュース記事も含まれていました。
今回の訪問では実際の現場を訪れ、作る人と触れることで分かってきたことがあります。
それは、私が今まで触れてきた情報は表面的なものに過ぎないのだと。

エバハートという製品が販売されるまでには患者には見えない開発者の熱い思い、苦悩、努力がありました。
それはネットの世界では感じ取ることができないリアルなものでした。

初代エバハートのコントローラーと周辺機器

写真はエバハートの製造販売の認可が下りた初代のコントローラー(C01)一式です。
C01の電源コードは3Pコンセントだったようで、そのコントローラーの大きさも私が持ち歩いている二代目コントローラー(C02)より一回りほど大きいものでした。
噂には聞いていましたが、やはりデカいですね。
この大きさのコントローラーをショルダー掛けして活動するのはちょっと辛そうです。

機能面だけでなくデザインも改善を進めているようで、C02コントローラーでは小型になり2Pコンセントが標準装備になりました。
私はその恩恵にあずかることが出来ており、自宅の電源工事は必要ありませんでした。

最初期のプロトタイプのコントローラー

展示室には過去の試作機がずらりと並べられていましたが、この緑色のスーツケースのようなものが1997年に作られたコントローラーとのことでした。
当初はトイレまで歩いて行けるくらいを目標として設計されていたそうです。

そのドライブラインはまさしくホースですよ。
改良を積み重ねていき、C01コントローラーが完成したわけです。
※このあたりの開発秘話を山崎社長から直接お聞きしたのですが、書きまとめる自信がないため割愛します。

しかし、このサイズであっても当時の体外式補助人工心臓のコントローラー(洗濯機くらい)と比べて圧倒的にコンパクトだと感じましたし、今のコントローラーの大きさで文句ばかり言ってちゃいけないなと思いました。
しかし、そう思いながらももっと小型軽量に進化してほしいと願います。

刺入部の消毒が不要となる皮膚ボタン?

この写真だけで何の部品か分かりますか?私は説明されるまで分かりませんでした。

皮膚ボタンのイメージ写真を作ってみました。

イメージ

皮下組織に皮膚ボタンという土台を設け、端子のようなものを皮膚から出す部品らしいです。
皮膚ボタンにより刺入部の消毒が不要になったり、お風呂の湯船に浸かれてしまうかもしれないというポテンシャルを秘めているらしいです。

初対面の方に補助人工心臓の説明をすると、殆どの方がイメージ写真のようにドライブラインを抜き差しできるプラグのようなものを想像されるようですね。

相手:「お風呂に入るときは一回外すんでしょ?」
私:「いやいや、外せないですよ」

ここまでが定番のやり取りとなっています。
皮膚ボタンについて調べてみると国循などでも研究が進んでいるようですね。

人工心臓使用時のデバイス由来感染症防止に有用なスキンボタン・デバイス被覆材の開発

https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-23390341/

出典:科学研究費助成事業データベース

私の待機期間中にこれらを利用する機会は無いと思いますが、将来的にはこのようなものが実用化してほしいですね。
このようなものが実用化されればVAD患者のQOLも上がるような気がするし、VADのDT(destination therapy)利用など活躍する機会も増えてくるかと思います。
現在の開発状況はどうなのでしょうか?

今も改良を繰り返すエバハートの血液ポンプ

エバハートの開発当初は軸流ポンプでチャレンジしていたようです。
写真は全て実際の試作機のポンプです。

軸流1号機~5号機

数えきれないほどの改良とテストを繰り返してきたそうで、その歴史の一部に触れることができました。

軸流6号機~9号機

7号機のインペラ(羽根車)だけでも、これだけの改良を加えているそうです。

7号機のインペラーの改良試作サンプル

そして軸流ポンプではなく遠心ポンプでの開発にシフトしたそうです。
その経緯などをお聞きしたのですが、私では書きまとめることが難しいため割愛します。

遠心1号機~4号機
ポンプを構成する部品
遠心5号機~7号機

ポンプの形も現行機に近づいてきましたね。
現在もポンプの改良が進んでいるそうで、昨年の講演会では実際の試作機を見る機会がありました。
現行機と試作機のポンプを手に取って比べてみましたが、更に小型・軽量化が施され、ドライブラインも細く柔らかくなっていましたね。
(2020年現在、EVAHEART2として販売されているポンプです)

エバハートの製造現場の見学

講演終了後、実際の製造現場を見学させていただきました。
まずはポンプの仮組みを行う「サブ組み立て室」です。

この日も実際に作業が行われていました。

まさにハンドメイドでインペラ(羽根車)を仮組み中です。 
話を聞くと、この工程だけではなく殆どがハンドメイドだそうです。

実際の作業を見ることはできませんでしたが、ドライブラインのファブリック生地も人の手で縫合しているそうです。

この後はコーティング、本組み、気密検査と続きますが、クリーンルームは何重にもなっているためその光景を写真に収めることはできませんでした。

梱包や出荷作業している部屋では出荷待ちのバッテリーがずらりと並んでいました。正直なところ災害時用の電源として数本欲しくなりました・・・

まとめ

日本では「補助人工心臓の対象症例拡大」の検討も進んでいるとのことなので、サンメディカル技術研究所の皆様にはこれからも立ち止まらずに頑張っていただきたいです。
私はエバハートを装着された方達のためにも、私なりに感じたことをそのまま発信し続けたいと思います。

この記事の著者

Satoru Ishii
この補助人工心臓体験記の運営者です。
僕は拡張型心筋症で2015年2月にエバハートを埋め込み、心臓移植待機者になりました。
僕もいつかはVADを卒業する日が訪れます。(訪れました)
僕が成し遂げたいことは後継者を作ることではなく「当事者が声を上げていいんだよ」という雰囲気作りです。
これから先も地道に発信していきます。

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