本日の通勤電車内でとある女性に席を譲られました。
ヘルプマークを付けていても席を譲られるシーンはあまり多くはありません。今日の出来事を振り返り「なぜ席を譲られたのか?」を考察してみました。
この記事は2016年5月25日(VAD装着468日目)のリライト記事です
譲ってくれたのは女子大生
今日はオフィスに出社するためにいつもの時間の電車・車両に乗りました。
お互いの方が触れない程度の混雑で、優先席を含めて空いている席はなく私はおとなしく優先席エリアのつり革につかまっていました。
どうやら私の目の前に席に座っている若い女性たちは会話の内容から女子大生であることが分かりました。乗車してから何駅か過ぎた頃、女性たちの内一人が私のヘルプマークに気付いたようでひそひそ声で話始めました。
どうしようか?
少し困ったように仲間へ問いかけていました。
その後もひそひそ話が続き、途中からは女性優先車両の話題になり最終的にはディズニーランドの話に変わっていました。
私はドアの近くで人とぶつかりそうだったことと、タイミングよく奥のスペースが空いたので場所を移動しました。
移動して数分後、女子大生が反応する
私の後ろにいる女子大生集団から再びひそひそ話が聞こえてきました。窓ガラスに反射して私の背中を見ているのが分かるんですよね…
優先席に座っている一人が私の背中を指さして小さな声で
席譲ったほうがいいかな?
と相談しています。
私は気付かないふりをしてその時が来るのを待っていました。
そして・・・
肩をトントンされる!
1分もしないうちに肩をトントンされました。正直に
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
って思いましたね。
女性は「ここの席どうぞ」と言い、席を譲ってくれました。
私は「ありがとうございます」と返すべきところを「どうもすみません」と言ってしまった。
やはり何かに負い目を感じているから「どうもすみません」という言葉がでてきてしまうのでしょうか?
「どうもすみません」より「ありがとうございます」の方がお互いにハッピーになりますよね。今度からは「ありがとうございます」と言えるように心がけよう。席を譲られた経験がある方、どうでしょうか?
ヘルプマークを利用するのであれば「ありがとう」を大切にしたい、そんなことを感じた通勤時間のひと時です。
裏話「ヘルプマークの弱点」
ココからは少し乱暴なことを書きます。
書くかどうかを迷いましたが、感じたことを忘れないうちにありのままを書きなぐってみます。ヘルプマーク歴1年の若輩者はこう感じているのです。
以前に席を譲られたケースを含めて、やはりこの捉え方はあながち間違ってはいないと感じました。
それはヘルプマークだけでは
何をすればよいのかわからない
確証が持てない
まさに、今回の女子大生達がそのような状況だったのでしょう。その状況では
行動に移しにくい
やはり周囲に支援を求めるのであれば相手が行動に移すための具体的な動機が必要だと感じました。私のように一見すると元気に見えるような人はヘルプマークだけでは相手の動機付けが少し薄いようです。
私はヘルプマークを否定しているわけではありません。何らかの支援が必要なことが分かるし、汎用性があるし、デザイン的にも優れていると思います。
しかし、ヘルプマークだけでは周囲は何をしたらよいのかが分からないとも感じます。支援が必要なことは分かっても実際に行動に移すための確証が持てないのだろう。
通勤電車内でヘルプマークを着けた人をみて「何かお困りのことはありますか?」と声を掛けることは想像しにくい、みんな通勤電車を降りたら忙しい一日が待っているのだから声はかけられないだろう。
ただ、私が杖をもっていたら相手にとっては強い動機になるでしょう、「この人は席に座るべきだ」と分かることで「ココの席をどうぞ」と声を掛けることができるかも知れません。
だから、私は杖の代わりにVADステッカーを貼りつけています。
VADが認知されていればその必要はありませんが、現状は殆どの方が見た事のない機械です。それにVADが世間に認知されるほどに心臓移植を待っている人が増えて欲しいとも思いません。
もちろん、相手からの一声を待つのではなく私の方から「席を譲っていただけませんか?」と言うことも必要だと思います。
色々なことを考えさせられた通勤時間でした。
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