補助人工心臓体験記

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復職初日、涙を浮かべるほど嬉しい

復職初日、涙を浮かべるほど嬉しい

本日付けで復職となりました。
復職後3ヵ月間は週1回のオフィス勤務(時短)、週4回の在宅勤務で進めることになりました。休日出勤、時間外勤務は一切なしという条件です。
会社は西新宿にオフィスを構えているため、自宅からはバスと電車を使って通勤します。今月は妻に同行してもらいます。

この記事は2015/12/3(VAD装着294日目)のリライト記事です

復職初日の出来事

昨日から少し緊張気味でよく眠れませんでしたが、朝目覚めた時には既に気持ちが仕事モードに切り替わっていたようです。自分でも驚くほどシャキッとしていました。

9時40分くらいにオフィスビルに到着し、「ピッ」と入館証をかざして職場に入りました。
ドアを開けた瞬間にオフィス独特の匂いを感じ、「元の世界に戻ってこられたんだな」とフロア全体を端から端まで見渡していました。
入口で固まっている私に視線が集まり始め、皆さんの方から駆け寄ってくれました。

抱えていたプロジェクトが佳境に入った時に大きく体調を崩し、引き継ぎも何もできずに長期間休みました。休んだことにより多くの方に迷惑を掛けたはずです。
しかし、そんなことは関係ないと言わんばかりに温かく迎え入れてくれました。

涙を浮かべる方もいて、改めて「すごく心配かけちゃったんだな」と感じました。こちらも涙を貰っちゃいます…
午前中は挨拶周りで終わりました。

職場のVAD受け入れ体制

オフィスは同僚・上司をはじめ、営業や総務部など幅広い方にVADの機器トレーニングを受けていただきました。
いつ出社しても必ずトレーニングを受けた人が一人はいる環境を作ってくれたそうです。

業務中の移動量が少なくなるようデスクのレイアウト変更もされていたようで、自分のデスクには通常のOAタップとは別にVAD専用の電源も用意してくれていました。
昼休みの対応、サーバールームやトイレなどの個室の出入り、緊急時の対応フロー、ビル防災センターとの調整、全社員への緊急時対応のアナウンスなど、そこには完璧とも思えるような環境が用意されていました。

私はすごく恵まれた環境にいるんですね、これには感謝の言葉だけでなく業務の結果で応えたいと思います。

勤務中のVADコントローラーは足元

VADコントローラーは大き目の書類ケースを用意して机下に入れることにしました。エバハート専用設計と思ってしまうほどのピッタリなサイズで、コンパクトに収まりました。
机上に置くのは業務の邪魔だし落下リスクもあるので、床に置くことで私も少し安心できます。
これはドライブラインが長いエバハートだからこそ出来る技ですけどね。

サイドワゴンの中身はタイムマシン

鍵付きのサイドワゴンの引き出しをあけると、絶望的に苦しかった時の状況がそのまま残っていました。

乱雑に放り込まれた書類や小物を見て「きったね~なぁ・・・」と思うと同時に、「本当に復職したんだなぁ」とジーンときてしまいました。

そうこうしている内に昼休憩です。
職場の先輩方に連れられて、ヒルトンホテルの地下にある飲食店に向かいました。
今までと少しも変わらずに接していただいたことが何よりも嬉しかったです。
そして、復職祝いということで食事を奢っていただきました。

会社、メッチャ楽しいじゃん!

午後は在宅勤務の準備

以前からリモートワークと併用して業務を遂行していたのですが、休職している間にVDIやVPN周りの環境が刷新されたようで、午後はシンクラインの設定に専念することにしました。
一通りの動作確認を終えた少し重たいノートパソコンをカバンに入れ、16時にオフィスを出ました。

働ける喜びはプライスレス

死にかけなければ、こんなにも「働ける喜び」を感じることもなかったのかも知れません。
帰りの電車内では今日あった沢山の出来事を思い返していました。

とても嬉しいです。

病人という現実

帰宅後、自己消毒をしている最中に一気に疲れが現れてきました。
昨夜はよく眠れなかったこともありますが、身体が超だるい。
はりきり過ぎないようにペースコントロールをしなければならないですね。

今夜はぐっすりと眠れそうです。

この記事の著者

Satoru Ishii
この補助人工心臓体験記の運営者です。
僕は拡張型心筋症で2015年2月にエバハートを埋め込み、心臓移植待機者になりました。
僕もいつかはVADを卒業する日が訪れます。(訪れました)
僕が成し遂げたいことは後継者を作ることではなく「当事者が声を上げていいんだよ」という雰囲気作りです。
これから先も地道に発信していきます。

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