補助人工心臓体験記

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ICUでせん妄になったお話

ICUでせん妄になったお話

目が覚めたらいきなりせん妄

せん妄とはICUで管理されている患者にもよく起こる意識障害で場所がわからなくなったり幻覚が見えたり色んな事が起こります。

VADの手術前に病院からはせん妄の説明があり、場合によっては手足の拘束も必要な時があるとの事。
まさか自分には起こるはずないと思っていたのに。

目が覚めると手足が拘束されていて窓の外は田舎の風景です。
私は東京の病院で手術を受けたのに何故か汽笛さえ聞こえます。
いきなりせん妄の始まりです。

「手術は失敗だったんだ」と思った私はこの田舎の病院で静かに死んでいく覚悟をします。

この頃、最も苦しかったのは痰の吸引です。
私の場合は吸引が始まると段々意識が薄れて閻魔様があらわれます。
時には仏様が現れて死を確信しますが吸引が終わるとまた意識が戻ります。
とにかく苦しい日々でした。

そんな時あの男が現れました。

数日後、私の前に有名な映画監督が現れます。
現れたとはいえ私にはその男の姿が見えません。
なぜならその男は私の前を通る時、必ず大名が乗っているような籠に入っています。

初めてICUに入って来た時は弟子を連れ、撮影隊も一緒に連れてきました。
そして私から見えない所で籠から降りた男は弟子から「殿」と呼ばれていました。

撮影が始まります。

どうやら「殿」と呼ばれる監督は人間が本当に死ぬ瞬間を撮りたくて私を撮影に来たようです。

まずは看護師さんが私の痰の吸引をする用意をします。
するとカメラマンがスタンバイし、吸引と同時に撮影を始めます。
吸引が終わると私が死んだかどうかを確認して撮影が終わります。

吸引の度に同じ事が淡々と繰り返されて夜になると「殿」は弟子たちと撮影隊と看護師さん全員を連れて「飯に行こう」と言って籠に乗って帰っていきます。

妻の裏切り

撮影が始まってから数日後、なぜ私がこんな撮影をされているのかを考えていました。
するとある看護師さんがわたしの耳元でささやきます。
「奥さんが裏切ったのよ」と。
どうやら私の死を撮影させる代わりにお金を受けとっていたようです。
お見舞いに来ない訳がわかりました。(本当は来ていたのに私には見えていませんでした。)

そしてその日も「殿」は「しかししぶといなぁ。」と言いながらみんなを連れて籠に乗って帰っていきました。

「殿」と呼ばれる監督の逮捕

なかなか死なない私に業を煮やした「殿」と撮影隊はついに決断します。
自然に死なないのであれば殺すしかないと。

しかしここで妻が私を助けます。
明日、計画が決行される事に気付いた妻が警察に通報します。

病院の近くのホテルでどんちゃん騒ぎしていた「殿」と撮影隊は警察に踏み込まれ逮捕されてしまいます。

私は拘束されたベッドの上でそのニュースをテレビで見ていました。
次の日から「殿」と撮影隊は来なくなりました。

創作のないせん妄中のリアルなお話です。
まだまだ私のせん妄と拘束された日々は続きます。

COMMENTS & TRACKBAKS

  • Comments ( 3 )
  • Trackbacks ( 0 )
  1. はじめまして。
    大変失礼を承知で申し上げますが、すごく面白いです笑
    私も移植後にICUでせん妄になりましたが、
    私の時も、
    「誰かが自分を殺しに来る、テレビやラジオ番組でも
    自分が死ぬように仕向けてくる、または自分は死んでいる」系のせん妄でした。
    不思議だったのでおもわずコメントさせていただきました。

    • はじめまして。コメントありがとうございます。
      使い方がまだよくわからず返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
      せん妄は本当に大変ですよね。2度となりたくないです。
      移植者さんとの事ですがお体をお大事にしてください。
      ありがとうございました。

  2. 私も術後せん妄になりました。不思議なことに同じような体験の部分があります。ベッドで寝ているとステージにあるような分厚いカーテンの後ろで寝かされており、そのカーテンが突然開くと職場の仲間や上司がきちんと並び、私の姿を写真に撮っているのです。中には、本格的な8mmカメラを持ってきて撮影している人がいます。早く閉めて欲しいのに私の一番信頼して頼りにしていた看護師さんはカーテンを開けて閉じないように、支えているのです。どうしてVADを着けて心身共々くたびれているのに、こんな見世物にされなきゃいけないのか・・。動けないつらさかで腹立たしいやら、辛いやらで、本当に悲しい気持ちになってしまいました。しばらくすると、みんなは撮影に飽きたのか口々に勝手なことをいいながら、ICUを出て行ってしまいました。お見舞いの言葉も言ってくれません。こんな人間がいる職場で働いていたのかと思い、悔しく、悲しく、何ともいえないきもちになりました。やはり、経験の少ない、人生で一番辛い時を病室で過ごすとその時の経験を無意識に身体に記憶に刻もうとするのでしょうかね。勉強になりました。poronさんの記事は何回読んでも面白いです。どうか奥様を大切に、お元気でお過ごしくださいませ。失礼いたしました。

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