
2015年2月13日—— この日、私は補助人工心臓(LVAD)の植え込み手術を受けました。しばらくの間、私の弱った心臓をアシストする形でLVADが多くの血液を循環し続けてくれ、私の身体と生活環境を支えてくれました。改めて振り返ると、この10年間は本当に多くの方々に支えられながら歩んできた歳月でした。
この時代に生まれていなかったら
補助人工心臓を植え込んでの生活は、絵に描いたような平坦なものではありませんでした。私が目指したところは心臓移植とその先の人生にあり、まずは心臓移植まで自身のコンディションを悪化させずにその日を待つことにありました。一言にコンディションといってもその中には体調面や精神面だけでなく、金銭面などもあり、それを維持するためには社会活動が重要となりました。
感染症や血栓症と向き合う時もありました。LVAD手術後に経験した脳出血では視野欠損として、今もその名残があります。会社で一過性脳虚血で倒れた時は自身の名前が言えず、家族がいたことすら思い出せませんでした。ICUの中で一生懸命記憶と辿ろうとしたのですが「何も思い出せない・・・」と半ば笑いが出そうな私がいました。きっと、忘れちゃいけないこと、忘れてしまいたいこと、そのどちらも本当に思い出せなかったのですね。
その後、1日足らずで嘘のように記憶が戻ってきたものの「元通りに戻っているのだろうか?」と思うことはあります。
創部がグチャグチャなこともあれば、肋間神経痛で車に乗ることすら酷く顔を歪める時もありました。そんな時に心の拠り所になるのは、補助人工心臓を身をもって知っている患者仲間でした。
LVAD装着中の辛いことは沢山ありましたが、一番辛いことは同じ境遇の仲間達が志半ばで旅立たれてしまうこと。昨日まで笑って話していたのにね。そのたびに胸が締め付けられる思いを抱きつつ、彼らの想いの一部を勝手に引き継ぎながら歩み続けています。
支えてくださった方々への感謝
この10年間、私は本当に多くの方々に支えていただきました。家族、医療従者、友人、同じ境遇の仲間たち、職場など、すべてをあげたらキリが無いほどに多くの方々のおかげで、今日まで歩んでくることができました。
眠りについたら、もう目覚めないのではないかという恐怖に襲われ、何日も眠れぬ夜を過ごしたこともありました。知らず知らずに自身の表情が険しくなり、時には周囲にあたってしまうこともありました。心臓移植を経て新たな人生を歩むことができている今、改めてドナーとそのご家族に心から感謝を申し上げます。臓器移植によって、私の命は再び力強く動き出しました。この感謝の気持ちは一生忘れることはありません。
人生いろいろありますが、私は幸せです。
なお、心臓移植を受けてから非常に涙もろくなりました。苦手だった焼き椎茸が好きになりました。
お知らせ
心臓移植体験記「僕の人生ログ」を運営していましたが、諸般の事情により閉鎖するを決めました。掲載していた記事は補助人工心臓体験記に移植しましたので、これからはこのブログで全ての記事を閲覧いただけます。今後ともよろしくお願いいたします。
ボウリングにハマっています
今日は朝9時からボウリングで5ゲームを消化してきました。20代の頃のようにアベレージ200点越えとは行きませんが、ぼちぼちスコアも上がってきています。こんなことができるのも、LVADと心臓移植が持つポテンシャルの高さなのかも知れませんね。

では。
コメントはこちら